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2008年8月17日 (日)

◆ロシア・グルジア紛争(2008.8.17)

 ロシアとグルジア紛争が勃発した。グルジアの南オセチア自治州を巡る衝突をきっかけにロシア軍がグルジア領内にまで侵攻。グルジアを支持する米国などと対決色を強めている。
 背後にはグルジアのNATO加盟や米ミサイル防衛システム配備などを巡る米欧とロシアの対立があり、問題はグルジアにとどまらない。事態の推移次第では、冷戦後曲折を経ながら維持されてきた米欧とロシアの協調路線そのものが揺らぎかねない。

▼紛争の経緯 
 今回の紛争の直接のきっかけはグルジア軍による南オセチア侵攻。南オセチア自治州はグルジアからの分離独立・ロシアへの編入を主張する独立派が実質支配しており、92の第1次オセチア紛争以上はロシア軍主体の部隊が和平を監視している。グルジアは7日夜-8日にかけて州都ツヒンバリに侵攻した。
 これに対しロシアは独立派からの要請や自国民保護を名目に8日軍を派遣。南オセチアを奪還するとともに、グルジアにまで侵攻した。
 南オセチアと同様に分離独立派が多数を占めるアブハジアでも戦闘が発生。同自治州でグルジアが実効支配していた地域は、独立派の支配下に入った。
 ロシアの機敏の動きにを見ると、グルジアの動きを事前に察知し、むしろ挑発したとの見方も多い。
 EUの仲介で13日になって和平「6原則」に合意したが、緊張は続いている。

▼南オセチア問題の経緯
 紛争は歴史、民族問題が絡み合い複雑だ。南オセチアはグルジア北部でロシアに隣接する地域にある自治州。人口は10万人程度で、イラン系言語を話すオセット人が多数派だ。18世紀ごろ帝政ロシアの支配下に入った後、1922年にソ連の構成国の1つだったグルジアに編入された。同じ民族の北オセチアはロシア領にとどまった。
 ソ連が崩壊した90年に南オセチアはグルジアからの分離とロシアへの編入を主張。これを認めないグルジアと独立を支持するロシアの間で紛争になった。92年に停戦が成立した後、ロシア主体の監視団が駐留している。
 
▼ロシア・グルジアの対立
 ロシアとグルジアの対立が深刻化したのは、2003年のグルジア「バラ革命」以降。無血革命で新米欧派のサーカシビリ政権が発足した政変だ。その時の真相(米国の関与など)は、いまだに解明されていない面も多い。
 サーカシビリ政権は発足後、欧米と協力してアゼルバイジャンからの石油パイプライン建設を推進。またNATO加盟に向けた動きを進めた。これにロシアは反発。サーカシビリ政権打倒は公然の姿勢になっている。

▼国際社会の動き
 紛争ぼっ発後に最も急速に動いたのが旧ソ連国家。ウクライナのユーシェンコ大統領やバルト3国首脳は直ちにグルジアの首都トビリシに飛び、サーカシビリ政権を支持。ロシアの圧力に対する警戒をあらわにした。
 これに対し欧米の動きは複雑。EUは基本的にグルジアを支持しながら、紛争の過熱をを抑えたい立場。議長国フランスを中心に仲介に乗り出し、和平の「6原則」をとりあえず取りまとめた。
 一方の米国はグルジア支持の立場をより強く出している。しかし、ロシアとの決定的な対立をもたらすような言動も避けている。ブッシュ大統領は11日まで五輪開会式に出席した北京に滞在。初動は鈍かった。

▼ロシア・米欧対立の背景
 今回の紛争はグルジアを巡るものだが、背景にはNATO拡大などを巡るロシアと米欧の構造的な対立がある。冷戦後米欧はNATOを旧東側諸国にまで拡大。旧ソ連圏を侵食した。
 先のブカレストのNATO首脳会議では、グルジアをウクライナを将来のNATO加盟国にする方針を決定した。
 さらに米国はミサイル防衛システムのチェコ、ポーランドへの配備を決定。コソボ問題では、セルビアからのコソボ自治州の独立を容認した。
 こうした動きにロシアは反発。資源の国有化を進める一方、欧州への石油・天然ガスの供給をちらつかせるなど対決姿勢を強めている。ここ2-3年は、ロシアと米欧の関係は「冷戦終了後最悪」と言われる状況になっていた。

▼利害のぶつかり合い
 グルジアはそうした対立構図の最先端に位置付けられる。NATO拡大やカスピ海沿岸の石油・天然ガスの供給路の支配という面で、双方譲れない場所だ。
 南オセチアの地位を巡る双方の主張も相いれない。グルジアが南オセチアを固有領土と主張するのに対し、ロシアは住民の意思を尊重すると将来の独立に含みを持たせる。
 コソボ独立にもみられるように、国境確定のルールは国際情勢によって変化し、絶対の答えはない。今回のケースは、双方が実効支配という既成事実を築こうとした結果でもある。その観点から英Economist誌は「戦争はロシアにとっての勝利」と分析した。

▼冷戦後の流れの変化
 冷戦後のロシア・米欧関係は、①基本的に協調路線②ロシアの勢力範囲の縮小、という2つの潮流の下に進んできた。ソ連崩壊とロシア経済の混乱により、ロシアは欧米の協力が欠かせない状況が続いた結果だ。1990年代に始まったNATOの東方拡大とロシアのG8参加もこうした流れの中で実現した。
 しかし、資源高を背景にしたロシア経済の復権で、構図は変わりつつある。ロシアは「大国復活」を掲げ、資源の国有化、NATO拡大反対などで米欧との対立色を強めている。
 冷戦終了後に世界で民族・地域紛争は少なくとも数十発生した。その多くは抜本問題を先送りしたまま封じ込められた形になっているが、国境線や枠組を変更したものもある。そのほぼ全てが、米欧の利害に沿った場合だ(ボスニア、コソボなど)。今回のグルジア紛争は、そうした潮流に対し、ロシアが武力を行使してでもニエット(ノー)と言った格好だ。

▼新冷戦?
 もちろん、米国にしてもロシアにしても決定的な対立を望んでいるわけではない。米国にとっては、ロシアの協力なしにイラクやアフガン、北朝鮮などの問題に対処することはできない。欧州諸国にとってロシアのエネルギー供給は欠かせない。ロシアにとっても、欧米の技術や経済協力は経済発展維持のために不可欠。
 それでも冷戦後のロシア・米欧関係の流れが変わり、グルジアという最先端で顕在化した意味は重要だ。
 「新冷戦」という大げさな表現が出てくるのも、こうした潮流の変化をとらえたもの。その表現は現時点では行き過ぎだろうが、従来通りの視点で世界を眺めることはもはや適切でない。
 

(2008.8.17)

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